ただ、責めるその口調が、声が、表情が、温まってた指先の温度とか、世界に溢れる色彩とか全部、それこそ根こそぎ奪っていったんだって、それだけがはっきり理解出来る全てだった。
世界が滅びの道を辿っていて、尚且つそれが絶対に避けられない未来の上にあるのだと言われてから数日。泣き出しそうな顔をした綾時くんの背中を見送ったあの日から少しして、皆で話し合いをした。絶対的な死への恐怖。それは確かに怖い事だ。荒垣先輩の事とかファルロスの事とか、色々な事ばかりが頭の中をいっぱいにして、ここ数日はまともに眠れなかったかもしれない。
けれど、漸く少しずつ心が落ち着いて来た晩、チドリさんから貰った命を精一杯生きようと頑張っていた順平はきっと限界だったんだろう。いつも人当たりの良い人程キレると怖いと云うけれど、順平はまさにそのタイプだった。
今までだって何度も八つ当たりとか、無視されたりはしたけれど、
「お前、気付かなかったのかよ!!」
叩き付けられた言葉に、震えた唇から自然と零れたのは、誰にともつかない謝罪の言葉だけで。ゆかりや皆に宥められた順平からの言葉も、励ましてくれるゆかりの言葉も、私は何処か第三者のようにぼんやりと聞いていた気がする。
気にしないでと、私はからからと笑った。嘘。笑っているのはきっと私なんかじゃない。胸の内側で暴れ回る何かや、いつも通りの明るい私、それを何処か冷めた目でぼんやりと遠くから、私は内側で眺めていた。
*
影時間、薄気味悪い月明りが不気味に寮内を照らしている。きっと皆、疲れて眠っているだろう。私は自分の部屋を出て、そっとラウンジへ降りた。ひっそりとした空間。エアコンも元から切ってあるし、何より影時間に機械が稼動するはずもない。ひんやりと冷たい空気にぶるりと身震いして、ソファに腰をおろす。いつも賑やかなラウンジ。一人の部屋に居辛くて此所に来たのに、余計寂しさを増長させただけだった。失敗したなぁ、と、思わず苦笑が漏れる。
本当は、泣いてしまいそうだ。目頭が馬鹿みたいに熱い。どうして、とか、なんで、とか、ぐるぐると取り留めのない思考の渦に飲み込まれてしまいそうだ。
こわい
綾時くんの寂しそうな笑顔とか、泣くなと言った荒垣先輩の声とか、沢山の思い出が私を責める。順平の言うように、もしかしたら全部私のせいなんじゃないだろうか。皆、私の事をどう思っているんだろうか。
スリッパを脱いで、ソファの上で膝を立てたそこに額を押し付けて息を吐く。どんな時でも明るくて元気なは、こんな時どんな振る舞いをするのだろう。自分のことなのに、それすらも分からない。
「……?」
その時、きしりと階段が軋んだ。影時間独特の空気に響く低い声。私は慌てて息を止める。泣いて、しまいそう。
「どうした、寒いだろ」
パジャマのシャツを着た真田先輩は、いつも通りの声で、歩幅で、何も言わない私に歩み寄る。それから、自分の膝を抱き抱える私の手にそっと触れて、少しだけ怒ったような声を出した。
「お前…手が冷たいぞ」
寒くて、と言うのもあるけれど、私自身、どうして自分の指先がこんなに冷たいのか、なんて分かっていた。震えそうになる体。だいじょうぶ、少し落ち着いたから、まだ、笑える。そろりと顔を上げて、愛想笑いを一つ。彼が眉間に皺を寄せたのが分かったけれど、気付かない振りをした。
「先輩、眠れないんですか?」
「いや、階段を降りる音がしたからな」
「あ…すいません」
「起きていたから気にしなくていい」
ぽつぽつと交わされる会話。辛い事があったら何でもしてやる、これからは一緒だ、と、そう言ってくれた先輩は、私の事を気遣ってくれてるのかな、なんて、自惚れてもいいのだろうか。こう云う時に、どうやって自分の気持ちを伝えていいか分からない。私の隣りに腰掛けた先輩は、何も言わなかった。二人分の体重に、ソファが深く沈む。
ちらりと盗み見た先輩の横顔は、なんとなく疲れているように見えた。
「あ、の」
甘えても、いいのだろうか。負担には、ならないだろうか。
心臓が忙しない。
ん?どうした、と優しい声音で尋ねてくれる先輩の気持ちは、今の私には喉から手が出るくらい欲しい物だった。一人が怖い、なんて、こんなの何時ぶりだろうか。
言っても、いいだろうか。少しだけ逡巡して、曖昧に視線を彷徨わせる。急かされている訳ではないのに、はやく言わなくちゃと思った。
「先輩のお部屋に、行っちゃだめですか」
*
きちんと整理された先輩の部屋は、空調で暖められた空気の名残がまだ残っているのかあたたかかった。
夜中に男の人の部屋に、なんて、本当はいけないことだけれど、どうしたって一人では居られない。きっと私の部屋に誘っても先輩は来てくれないだろうし、あのままラウンジに引き止めれば風邪をひかせてしまうかもしれない。だったら、私が恥ずかしい思いで一見大胆ともとれる行動に出るのが一番だと思えた。此所からは、先輩とか後輩じゃなくて、私はただの私になる。先輩も、真田先輩から明彦…先輩にかわるのだ。
、と何処かまだぎこちなく呼ばれて、私の胸はそれだけで温かくなる。それだけでは風邪をひくからと手渡されたぶかぶかの上着を羽織って、私は息を吐いた。こんな気持ちを彼にぶつけてもいいのだろうか。迷いに心がくらりと揺れる。何も言わずに小さく震えた私を先輩はそっと優しく抱き締めて、それから、私の言葉を待ってくれているのだろう。何も言わないでいてくれる。それだけで私の涙腺は頼りなく緩んで、彼のシャツを少しだけ濡らした。
「先輩、は、私のこと……気味が悪く、ないですか」
次第に尻すぼみになる言葉。それに対して先輩は、訳が分からないとでも言いたげに、何で俺がお前を気味悪がるんだと問い掛けて来る。私はうまく回らない頭で、なんとか言葉を整理しようと試みた。
ファルロスや綾時くん、アイギスを恨んでる訳でも恐れてる訳でもない。それでも、事故として処理された両親の死は、彼と、あの子が原因だった。両親の死の源を抱えて、私は今まで生きて来たのだ。それがなければ今、彼らと出会う事も、親しくなることもなかったと分かっている。けれど、肉親を奪った根本をずっと宿していた、だなんて、そんなの、気味悪いとか、そう思われたっておかしくないんじゃないかな。
ぽつり、ぽつり
零した言葉が詰まった。自分から言っておきながら、涙が出て来るなんて卑怯だろうか。それでも、分からなくなってしまった。この寮に来るまでの長い孤独な生活は、時間は、消えてなくなりはしない。魔法のように、跡形もなくなる訳じゃない。残された傷は、未だ完治しないまま。
何を恨めばいいのか。何を喜べばいいのか。何を信じればいいのか。
「こわい」
だってわたし、もう、父さんと母さんの声も思い出せない。
先輩は、、と私の名前を呼んだ。何度も、何度も。だから私も、明彦、と彼にしがみつく。
気味が悪いなんて、思うはずがないだろう、ばか。そう囁いた先輩の声は少しだけ掠れていて、なんだか無性に泣きたくて、泣きたくて仕方がなかった。
「よく、頑張った。…前にも言ったが、俺は、お前一人に頑張らせるつもりはないからな」
お前の辛い時は俺がいると、約束しただろう。
甘い声。
私をどろどろに甘やかして、こうして泣かせてくれる。
髪を梳く指先の熱が心地よくて、そっと目を閉じた。
- end -
20091214
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