時が迫っていた。空っぽのはずの肉体はいよいよ重くなり、最期が近い事を否応なしに突き付けて来る。
未練は、ある。やりたい事がないと云えばそれは真っ赤な嘘でしかない。けれど、不思議と後悔はなかった。奇妙だとすら思える充実感で胸が満ちる。守れた。この手は何も失くしてはいない。そして、それはこれからも変わる事がないのだ。俺はこれから先もずっと、この世界を守る事が出来る。勝ち逃げ、という真田先輩の言葉を思い出した。荒垣さんもこんな気持ちだったのかもしれない。
俺はふと仲間を想った。それから、勝ち気な恋人のこと。
岳羽ゆかり――彼女は怒るだろう。容赦なく、馬鹿じゃないのと怒鳴るだろう。ヒステリックに声を上げて、それから泣くに違いない。プライドの高い彼女のことだ。その後はきっと手も出るし、最悪武器も出る。絶対だ。
けれど、彼女ならば大丈夫だという自信があった。人はしたたかだ。俺が両親を思い出す事が少なくなったように、彼女が父親の真実を受け入れられたように、時間の流れはどんな結果になろうと確実に終わりへ運んで行く。
忘れて欲しいなんて、微塵も思わない。リーダーではなく有里湊として俺を見て触れて愛してくれたのは誰でもない、彼女だから。他の男と幸せになんてことまではまだ願えないけれど、それでもいずれ彼女の中で自分は過去のものに形を変えるのだ。色褪せていく。なあゆかり、だからさ、それは当然の事だから、自分を責めたりする必要なんて、何処にもないんだ。ゆっくりと時間を掛けて飲み込んで、君は俺を忘れていけばいいよ。
「行かないでください…わたしは、嫌です」
顔を覗き込んでくるアイギスに微笑みかける。それは聞けないんだ。知ってるだろう?ひどく穏やかな気持ちだった。満ち足りてゆくような、気持ち。俺の中で育って大きくなったなんて言うと表現的に気色悪いけれど、アイツのためにも行かなくちゃならない。綾時が待ってる。
あれの封印は俺にしか務まらないんだよ。俺にしか出来ない事だ。今、この世界は…この世界に住む俺の大切な人達は俺にしか守れないんだ。それはとてもすごいことじゃないのだろうか。
負け続けだった俺が、漸く勝てるんだからさ、泣かないで、アイギス。
青く霞んだ空に、桃色の花弁が舞っている。どこから飛んできたのだろうか。祝福するかのように舞い落ちてきたそれをそのままに、まどろみに目を閉じる。体がゆっくりと沈んでいくような感覚が心地いい。
ゆかり。約束を守れなくてごめん。湊くんがいれば、きっと優しい気持ちでお母さんに会えると、笑った君を、想うよ。買い物の荷物持ちも、デスティニーランドも、登山だっけ、なんか取り敢えず山の方に行こうって約束も、全部持っていく事を許してほしい。
ずっとこの世界を見てるからさ、だからどうか、元気で。俺がいなくなったからって、自棄になって無理をしては、駄目だよ。これはリーダーとしてじゃなくて、有里湊からの言葉だって言ったら君は信じてくれるだろうか。
"海の底みたいだね"
瞼の裏側で君が笑う。宇宙という海の中で眠りにつく俺にぴったりの言葉だ。喉の奥で小さく笑った。今日はいい天気だ。
嘘つき(大好き)
届かなくても祈るよ
- end -
20100306
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