閑散としたラウンジで、真田明彦はボクシンググローブを磨いていた。ゆったりとソファに身を預けて、ゆるりと足を組む。すると、わいわいと騒がしい声が外から近付いて来ることに気が付いた。手を止めることなく、神経だけを外へ集中させる。扉を開いたのは、お調子者の後輩、伊織順平と、望月綾時。そして、現場リーダーである有里湊の三人であった。
この寮に、寮生以外が入ってくることは非常に稀である。そもそも関係者以外立ち入り禁止とされているのだから当然なのだけれど、寮長である桐条美鶴がそれを咎めないのだから真田は何も言わない。影時間まで居ると言うならば勿論話しは別であるが。
あ、真田サン!ただいま帰りましたーと陽気に声を上げる順平に、ああお帰りと言葉を投げると、三人は真田の向かいに腰をおろし談笑を始めた。テーブルの上に置かれたビニール袋から、香ばしいソースの匂いがする。オクトパシーでたこ焼き買って来たんすよ、と言いながら、ぎゃーぎゃーと喧しくそれを口に運ぶ三人。空腹を訴え出した胃袋に逆らう事なく、テイクアウトした牛丼の袋に真田も手を伸ばしたのである。
君のためにさっきクレーンゲームに挑戦したんだよと、綾時が有里に象のぬいぐるみを押し付ける。それを迷惑そうに受け取る有里に、リョージってなんかこいつのこと気に入ってるよなぁと呆れた声を上げる順平。それはまるで、戦いなどとは全く無縁なごく普通の高校生の戯れのようであった。
順平と綾時、二人が揃うとろくな事に巻き込まれない。真田の脳裏に、あの修学旅行の出来事が蘇る。背筋に氷を押し付けられたような感覚にぞわぞわと肌が総毛立つ。誤魔化すように咳払いをし、真田は目の前でたこ焼きに悪戦苦闘する後輩達をちらりと見つめた。
現場リーダーたるや、矢張面倒見がいいのかもしれない。真田も有里も、この二人の悪巧みに巻き込まれて被害を喰うタイプである。なのにも関わらず、綾時と順平の二人と共にこうして日頃からつるんでいるのを見ると、そう云った感想しか浮かばない。或いは、綾時あたりにぐいぐいと腕を引かれて付き合っているだけなのかもしれないが、結局拒まないところを見るとそう云うことなのだろう。あまり感情を分かりやすく言葉や表情に出さない少年ではあるが、忙しい奴だ。嫌いな人間のために割く時間などないに違いない。
真田は最後とばかりに牛丼を掻き込むと、パックのお茶をぐいと飲み干す。女子部屋に潜入しようなどと言う馬鹿げた提案を綾時がしだしたから、と云うのもあるが、そろそろロードワークに出なくてはメニューが狂ってしまいそうだ。悪ノリする順平と綾時を呆れきったと言わんばかりに生温い目で見ている有里には悪いけれど、巻き込まれれば今度こそ終わりである。
さっさと容器を片付けて階段へ。二階の自室の鍵を開けた頃には、下からは笑い声が。何やってんだと苦笑をもらした真田は、ジャージに着替えるべく、その扉を閉めた。
*
誰も居ないラウンジに、真田明彦は一人座っている。もう新居へ、必要のない荷物は送ってしまった。自室には備え付けてあったベッドと机、そして必要最低限の着替えなどしか残されていない。ペルソナ能力に目覚めて、ひたすらに駆け抜けた高校生活。それは、仲間であった少年と共に永遠に終わりを告げた。
つい先日執り行われた、真田にとっては後輩であった少年の葬儀。それ以来皆、このラウンジに、寮に、あまり近づこうとしなくなっていた。笑い声は、もう聞こえない。当たり前だ。綾時はいなくなり、また、リーダーであった少年も、ここへ戻る事はないのだから。
「…あ、真田サン。ただいまっす」
そう、ぼんやりしていた所に、重たい扉を開く音。見れば伊織順平が一人、ビニール袋を引っ提げて突っ立っている。その白い袋から溢れた、香ばしいソースの匂い。なんか無性に食べたくなっちって、真田サンも食べますか、と差し出されたそれに、真田は首を横に振った。
真田の向かいに座った順平が一人、パックを開いてたこ焼きに串を刺す。時折漏れる、あちっ、と言う声。三人は一人になり、そしてその一人である順平がたった独りで、たこ焼きを食べている。真田は溜め息を一つ吐いて、階段へ足を向けた。そして、笑い声が聞こえないラウンジを振り返り、いい知れぬかなしさに胸を痛めるのであった。
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