( 誰 か 、 や さ し い 嘘 の ほ ど き か た を 教 え て )
薄暗い室内で目を覚ますと、眠る少女が傍らにあった。穏やかな寝息が胸元を掠める。一月も半ばに差し掛かった、寒い日の夕刻であった。
岳羽、と声をかけるも、彼女は微かに身動ぐだけで起きる気配はない。普段はチョーカーに隠されているが、今は露になっている首筋。張り付いた髪を指先でそっと払うと、くすぐったいのか眉間に微かに皺が寄せられた。もぞもぞと動いて、数分、再び穏やかな寝息。少年はその無防備な寝顔に口元を緩めると、そっと身体を起こした。
流石にこの時間に、二人一緒に居るのは不味い。寮の皆には内緒ね、と言ったのは、他ではない岳羽だ。他のメンバーは、リーダーである少年の決定により明らかになるタルタロスの有無を知るべく、ラウンジに集まっているに違いない。一度顔を出してからならともかく、下手したら順平あたりが感づきそうだ。そうしたら、色々な意味で順平が危ないだろう。冷えた空気に身震いを一つ。床に散らかった制服を手に取る。それから、パステル調のピンクを基調とした彼女の部屋の壁に逆さに吊るされた花束を見て、目を細めた。
「色褪せても、残るって店の人が言ってたから…」
深紅の薔薇の花束を手渡すと、それを反射で受け取った少女は目を丸くした。ぱちり、ぱちり。長い睫毛が影を落とす。
何かと人にプレゼントを渡す事の多い少年だが、薔薇の花束などというものを女性に贈るのは初めての試みである。花をプレゼントするにしても、花に精通している訳でもなければ興味も薄い。精々、少女が好きだと言ったガーベラの花を二、三本、可愛らしいリボンにラッピングして貰って渡すくらいであった。
渡された少女も当然疑問に思ったのか、急にどうしたのとでも云いたげにこちらを見上げてくる。その視線にふと微笑み、少年はその言葉を口にしたのだ。
「ガーベラだと、すぐ下向くって岳羽が言ってただろ」
「あー、うん。そうだね」
ガーベラの花は、茎が花の重みに耐えられないのか、綺麗に飾っても直ぐに下向いてしまうのだ。そんなものなのかと少年は思っていたけれど、花を贈った翌日訪ねた彼女の部屋で、実際に花がしょんぼりとしているのを目の当たりにした時は少しばかり衝撃を受けた。可憐ではあるが、強かではないガーベラ。だから、それならばと少年は思ったのだ。どうせなら、残るものを贈りたいと。
花屋ラフレシアにて、店員に相談を持ち掛ける。すると、ドライフラワーにすれば、生き生きとした鮮やかさこそ些か失われるが、色褪せても美しく残るのだと。ガーベラはあまりドライフラワーには向かない。なので、乾燥させても見目が美しく残ると言われた幾つかの花の中から、少年は敢えて薔薇を選んだのであった。
少女は照れたように頬を染めると、ありがと、と、はにかむように微笑む。棘のないように改良されたその花束は、例え包装を解いたとしても、この少女の手のひらを傷付ける事はないのだ。ちゃんと、ドライフラワーにするから。そんな少女の言葉に、そう、と一言返事を返した少年もまた、何処か気恥ずかしさを感じ、花束ごと、彼女を抱き締めたのだった。
つい数週間前の出来事は、少年の胸の内側であたたかに輝いている。ひっそりと息づくその温もりは、孤独と寄り添い続けた少年の魂を慰め、癒していた。リボンタイを結んだ彼は、扉に手を掛ける。彼女が起きる前に、またこの部屋に戻らなくては、怒られるだろうか。そう思えば少し、気持ちが焦った。他の女性陣が出てこないか微かに開けた扉の隙間から廊下を確認する。
「岳羽…」
少年は振り返る。ベッドで、変わらずに眠る恋人。
「この戦いが終わったらずっと一緒に居られるよね」
「…そうなんじゃない」
「何それもー、適当だなぁ。ムカつく」
蘇る会話に、少年はただ微笑むしか出来ない。彼は、予感している。
それはファルロスという少年がずっと気にし続けていた、終わりという予感。きっと、何らかの形で喪うのだろうと、少年の胸の内でそれは確信へ姿を変え続けているのだ。
「俺は、ずっと――」
彼はやさしい嘘を吐く。とてもやさしい、最後の嘘を。
どうか忘れないでほしいと、少年はひっそりと祈った。たとえ自分が彼女の傍に、どうしたっていられなくても、気持ちだけは、と。狡く、酷い話しであると少年は思う。少女の中で、少年は永遠になりたかったのだ。
少女はきっとこれから、少年がたとえ居なくなったとしても、あの花束を見る度に思い出すだろう。例えそれを処分したとしても、街を歩けば薔薇の花を目にするだろう。それは苦しみかもしれない。醜い束縛かもしれない。それでも、少年は誰かに覚えていて欲しいと願った。例え過去として色褪せても、何処かで残っていて欲しいと。
言葉はこれ以上、続くことはなかった。紅い薔薇の花の花言葉を、あの少女が知らないはずはないのだ。
少年の居なくなった世界で、その夜を覚えている者は誰一人として居ない。忘れられた夕闇に、確かに存在し、たゆたっていた時の中、あの少年の呟きも、もう何処にもないのである。
- end -
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