からっぽ


 突如現れた時の狭間に、アイギスの妹を名乗るメティスとか言う機械乙女。出ることの叶わない学生寮。リーダーであった少年の犠牲の上で手に入れたのは、仮初めの平和だったと言うのか?久々の実戦に、身体がぎしぎしと悲鳴を上げているのを感じ取り、ゆかりは革のソファに腰かける。
 考え出すと、眩暈がしそうな話だ。残酷な、話だ。消滅したはずのタルタロスに、シャドウ。繰り返される三月三十一日。混乱を無理矢理押し込めての戦いは、精神的に大きな負担となった。
 自分達が弱くなったのかシャドウが強くなったのか。時の狭間の探索は思うように捗らないままでいる。美鶴、順平、コロ丸と前線から三人が退いているため、戦力のバランスがどうにも偏ってしまっているのも原因であろう。メティスとゆかりはガル系。真田と天田はジオ系。得意とする属性が被っている事実はどうしようもない――そう。全ては、複数のペルソナを付け替えることの出来る、アイギスにかかっていると言っても、それは間違いではないのだ。

 どうしてアイギスが、彼と、同じ力に目覚めたの…。

 時の狭間の探索をはじめてから、ちらつく影。懐かしくて、いとおしい、面影。脳裏を掠めた微笑みを掻き消すために、ゆかりは首を振る。思い出したら、思い出に浸ってしまったら、立ち上がれなくなることを、ゆかり自身よく知っていた。例えそれが、逃避以外の何物でもないとしても。忘れようと薄情な努力を重ねる自分を、見ないふりをしているのだと、しても。
 だって、彼はもういないのだ。あの約束の日に、アイギスの膝の上で眠ったまま、その瞼が開かれる事は、なかった。声を聞くことも、影時間の終わりを喜ぶ事も、なにひとつ。


「…………」


 再び手にした召喚機のトリガーは重く、同時によく、手に馴染む。己を殺すかのように、銃口を突き付る行為。ゆかりはただ辟易していた。力を持たない、弱い自分に。彼との記憶を思い出すのが辛いと、嘆く自分に。
 与えてくれたもの、優しさを、忘れたい訳では、ないのに。優しさを、忘れた訳では、ないのに。たとえばその行為が、前へ進むために、崩れそうな肢体を支える為に、必要なことだとしても、彼への裏切りではないかという背徳感は、影のようについてまわるので、ある。
 何度と無く繰り返した、ごめんね、という、謝罪の言葉。擦り切れてしまったボロボロのその言葉を聞いたら、あの少年はゆかりに、何というのだろうか。答えを知るたった一人の失われたこの寮で、その問いに対して誰一人、何も言う事は出来なかった。


*


 小腹が空いたためキッチンに入ると、棚の中に買い置きのカップ麺やスナック菓子が詰め込まれていた。はやくこの現状の打開策を見つけなくては、外部からの補給が絶たれた今、自分達は全員、餓えて死ぬだろう。儚いものである。生きているものを食らうと言う、行為。それなくしては、何もしなくたって人は死ぬのだ。

 どれなら食べてもいいのかな。

 うーん、と小さく唸りつつ、ゆかりは棚の中身をテーブルに出してゆく。数を確認しながら、どれくらいの日数――と云っても日付はこのままでは永遠に三月三十一日だが――食べていけるかを計算してみた。そして、溜息。そもそもジャンクフードやらインスタントやら、成長期の若者が食べるにはあまりにも粗末な食料たち。荒垣先輩がいたら、怒るだろうか、と、過去に失われた一人のことを思い出し、ゆかりは慌ててその思考を振り払った。
 少ない食料の中から見つけた、不自然に潰れた菓子パンの袋を摘んで、再びラウンジへ。上から無遠慮に他の食品を突っ込んだからといって、ここまでパンは潰れるのだろうか。口元が呆れに若干ひくついている。どうせ順平のせいだろうと勝手に決め付けて、袋を破くと、クリームのはみ出したパンを一口齧った。賞味期限は越えていないし、潰れて見てくれこそ悪いが、味はごくごく有り触れた普通のクリームパンである。もくもくとクリームパンを頬張っていたその時、探索から戻ってきた仲間の一人であり、このパンがこうまでして潰れてしまった原因だろうと予想した伊織順平が、「あーーーっ!!!」っと大きな声を上げた。


「ちょっ、何なの順平!うっさいっての!!」

「だってよ、ゆかりっちの食ってるそのパン」

「やっぱりあんたの?それは悪いけど、こんな状況で誰のとか言ってらんないでしょ!?」


 ゆかりの言葉に、まわりのメンバーがうんうんと頷く。岳羽の言うとおりだぞ、順平、と真田に窘められて、順平はだーっと声を上げた。


「ちっげーよ!それ、あいつのなんだよ!!」


 あいつ、という言葉に、寮内がしん、と静まり返る。あいつ、なんて順平がいうのは、たった一人しか居ないのだ。ゆかりは驚きに硬直した体を無理矢理動かして、手の中にある、潰れて見た目の最悪な菓子パンを見つめた。今の彼らを生かす、大切な食料である、菓子パンを。
 本の虫っていう古本屋、知ってんだろ。あそこのじいさんばあさんとあいつ、仲良くてさ。よく無理矢理、上着ん中に菓子パン突っ込まれてたんだよ。オレもあいつと居るときに、ポケットんなかにパン突っ込まれたこと、あったんだ。そん時は、メロンクリームがはみ出して、緑色の中身にあいつ、絶句してたんだぜ。
 順平の明るさを取り繕った声が、ゆかりの頭の中を、素通りしてゆく。今の体を生かす、食べ物。彼によって生かされているのだと、そう告げられた気がして、言葉をなくした少女は、ただじっと、食べかけのクリームパンを見つめていた。

- end -

20100510

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