君の嘆きを


 その日はとても晴れていた。イレーヌに会うためにノイシュタットの街に訪れたあたたかい日の昼下がり。ふらふらと何処かへマリーが歩いて行った。いつものことだと誰も気に留める事はなく、薬を買ってきますねと足早に店へ駆けて行ったフィリアとも別れた結果、スタンとルーティ、リオンの三人が先にイレーヌ邸へ向かうことになった。
 きっと趣味の薬作りもするだろうから、沢山買うものがあるのだろう。後でフィリアの荷物持ちをしに店へ行ってやろうと思いながら歩いていると、ふとルーティが足を止めたことにスタンは気が付いた。どうかしたのかルーティ、そう声を掛けながら彼女の視線を辿れば、そこには幼い姉弟が遊んでいる。おねえちゃん、おねえちゃん待って。きゃーきゃーとはしゃぐ子供の楽しそうな声。ルーティはその様子にとても優しげに微笑んで、仲が良くて可愛いわね、ととても小さな声で呟いた。ああそうだな。頷いて、それからふと視線をずらす。すると、スタンとルーティが立ち止まった事に気付いたらしいリオンが腕を組み、傍らに立っていた。スタンは一瞬、ティアラに電流を流されるかと背筋が寒くなるのを感じた。死ぬことはないが、矢張痛いことは避けたい。しかし身構えたスタンの予想を裏切って、リオンは小さく鼻を鳴らすと、ぐずぐずするなと一言だけ残してさっさと歩いて行ってしまった。不機嫌そうに吊り上げられた眉に、鋭い眼光。けれど、どんどんと先を行くリオンの華奢な背中を目で追いながら、どこか寂しそうに見えたのは気のせいだよな、とスタンは思い直すことにした。そして、そんな出来事があったことすら、晩御飯をイレーヌの邸宅でご馳走になる頃には、すっかりと忘れてしまったのだった。
 イレーヌ低での夕食はとても美味しかった。使用人と一緒に私も作ったのよ、とイレーヌが得意気に笑っていた。忙しいだろうに、その心遣いに感謝して、スタンは沢山食べた。相変わらずマリーは水のように酒を飲んでいた。フィリアとルーティは、そんなスタンとマリーを、一方は体を壊さないか心配を、もう一方はやれやれと呆れたように眺めていた。笑い声が絶えずとても楽しい夕食の席で、けれどリオンは大して何も話さなかった。出された分の食事をとって、用意して貰った一人部屋へ早々に戻って行く。そんなリオンの背中を見て、スタンはぼんやりと昼の小さな出来事を思い出したのだった。

 その晩、スタンは凄まじい腹の音で再び目を覚ますことになった。食事の時間が早かったためか、胃袋はあれだけ詰め込んだ食料を既に消化してしまったようだ。皆にはもう諦められる程寝起きの悪いスタンは、自分自身、空腹感により真夜中に覚醒したことを不思議に思った。ベッドの傍らに立て掛けてあるソーディアン、ディムロスは、どうやら機能を停止しているらしい。本人曰く眠っている訳ではないと言うけれど、似たようなものじゃないか、とスタンは目を擦りながら思った。このまま目を黙って閉じていても、再び眠りに落ちることがどうやら出来そうにない。少し街中を散歩すれば、適度な疲労感を得られて再び眠れるのではないだろうか。使用人も眠っているであろう時間に、何か食べ物が欲しいと屋敷内を探索する事は常識が赦さなかった。スタンは田舎者とよく馬鹿にされるが、非常に良識的で礼儀正しい青年なのだ。これも、元セインガルド王国の兵士であった祖父の教育の賜だろう。そうと決まれば、とスタンは日ごろ身に着けている鎧など一切の装備をせずにそっと部屋を抜け出すことにした。このノイシュタットは、桜という美しい木が花を咲かせていてとても綺麗なのだ。風景で腹を満たせる感性を生憎スタンは持ち合わせていない、花より団子、という言葉通りの人間だが、気は紛れるだろう。あまり音をたてないようにそうっと廊下を歩き、漸く玄関へ。扉を開いた瞬間、背後から驚くほど冷たい声が降りかかった。

「何をしている」

 振り向けば、マントこそ身に纏っていないが、しっかりとその手にシャルティエを納めた鞘を携えたリオンが不機嫌そうに立っていた。逃げ出すつもりか、と続いた言葉にスタンは焦って弁解をする。装着されたティアラは、シャルティエによって逃げたところで発信機の役割を果たすというのだ。それに、無理矢理外そうとすれば致死量の電撃が流れるという。スタンには夢があるし、そんなことでそれらを失う程馬鹿ではない。そもそもこの旅が終われば正式に罪は帳消しとなり、挙句に報酬としてセインガルドの兵士になれるのだ。逃げる理由などどこにあるというのか。ただ少し散歩に行こうと思ってただけだよ、というスタンの言葉を、どうだかな、と皮肉ったリオンは、何処となく疲れているように見えた。

「なあ、リオンも一緒にこの街をぐるっと散歩しないか」
「断る。何故僕がお前のような奴と…」
「きっと夜桜ってやつ、綺麗だと思うんだよな。それに、リオンも眠れないんじゃないのか?」
「余計な世話だ」

 一向に同意を示さないリオンに、スタンは少しむっとした。何故こうもリオンは人との関わりを拒むのか、それがスタンには分らない。この旅のメンバーに男性はスタンとリオンの二人だけであるし、そもそもスタンの故郷には年の近い子供そのものが少なかった。なので殊更、仲良くなれたらいいな、とスタンは考えていたのだ。それに、旅の仲間だ。仲間などといえばリオンはいつだって否定し、貴様と一緒にするな不愉快だと吐き捨てるだろうが、この先だってきっと、何度だって命を預ける間柄となるだろう。ならばそこに信頼という二文字があって、何がいけないのか。スタンはリオンのことを詳しくは知らないが、それでもこうして何ヶ月も共に旅をする内に、分ってきたことが沢山あるのだ。何も知らないくせにとは、どうしても言われたくなかった。
「いいじゃないか、な、剣についても聞きたいことがあるんだ」
 あまりしつこくすると、リオンに手元に握れているティアラのスイッチを押されてしまう。それだけは避けたいので、控えめに抑えながらスタンはリオンを散歩に連れ出すことに漸く成功した。
 外に出ると、夜風は少しばかり肌寒かった。星がちかちかと瞬いている。遠くの海で灯台が輝いているのを見て、きれーだな、とスタンは能天気に声を上げた。リオンは何も言わない。仕方がないので広場のベンチに腰を掛けて、スタンは一人で話しを続けた。どうでもいい話だ。昔のこと、最近知ったこと、戦闘で覚えあみ出した技のこと。そうしている内に、スタンは故郷のことをふと思い出した。同じフィッツガルド地方にある、リーネの村。この街から歩けば辿り着くであろう故郷だ。そこに置いてきた祖父と妹は、家出同然に飛び出した自分を心配しているだろう。スタンは小さくため息を吐いて、それから、妹のリリスとリオンが同い年であるという事実に気付き少なからず驚いた。

「そういえばさ、リオンの両親はやっぱりすっげー剣士なのか?オレ、将来結婚とかして子供が男だったら剣の稽古をつけてやりたいよ…リオンくらい上達したら、やっぱり親としてはすっげー誇らしいよな」

 その言葉にリオンは嘲笑とも受け取れる笑みを浮かべた。思わずスタンが目を見開くと、長い前髪の隙間から見上げてくる、触れれば切れてしまいそうな視線とかち合う。スタンには、リオンが一体何を嘲たのか、その時はよく分からなかった。

「そういうお前はどうなんだ。僕はそっちのが興味がある」
「オレの親?いい親だったらしいよ」
「ふん、随分といい加減じゃないか」
「はは、俺が二歳の時に疫病で死んじゃってさ、だからじっちゃんと妹と三人で暮らしてきたよ。剣はじっちゃん仕込みさ。リオンは兄弟とかいないのか?」

 朗らかに微笑んだスタンを見るリオンは、これまでにない程無表情だった。その、瞳の奥底にどろどろと流動する真っ黒い闇。微かに動揺したスタンを気にした様子もなく、リオンは口元を吊り上げた。

「僕に家族はいない」

 その一言はスタンの心に強い揺さぶりを掛けるにはあまりにも十分過ぎた。鈍器で頭を殴られたような衝撃が走る。自分よりも腕の立つ、年が三つも下の華奢な少年は、天涯孤独という寂しい場所に身を置いて立っているのか。その悲しみや寂しさを糧に客員剣士の地位までのしあがったというのなら、日頃の冷淡な態度にも納得がいった。それがまた、スタンには堪らなく淋しかった。妹と同じ年の少年が剣を振り回す理由を知る術を、スタンは持ってはいないのだけれど。

「そっか…オレ達、なんか、少しだけ似てるよな」
「ふん、馬鹿なことを言うな!」
「はは、そうだよな、ごめん」

 スタンは笑って、リオンは笑わなかった。
それ以上もそれ以下もない。それだけが事実だった。その後、ぽつりぽつりと話しをした二人は、けれど心の中をさらけ出す事はなく、もういい加減に眠ろうと部屋の前で別れた。

「おやすみ」
「ああ…おいスタン、くれぐれも寝坊をするなよ」
「んん、難しいな」
「起きなければいつも通り電流をお見舞いしてやる」
「うわ、それは嫌だな…」

 ぱたん。閉ざされた扉の向こう側で、確実に何か大切なものが少しずつ奪われている。気遣わし気に、坊っちゃん、と呼ばれた少年リオンは、シャルティエのコアクリスタルをそっと撫でて目を伏せた。若干十六歳にして、あまりに酷な運命を背負わされた少年のやりきれない思いが、心の繊細な部位が、その指先から滲み出ているようにシャルティエには思えてならなかった。

「僕の家族は、お前がいたな。居ないなんてことはなかったよ。ごめん、シャル」
『光栄ですよ、ありがとうございます坊っちゃん』

 スタンが、あの時のリオンの嘲笑の、ルーティを見つめていた悲しそうな視線の意味を、イレーヌの手料理をもう二度と食べることが出来ない事を知るのは、それから数ヶ月後の出来事となった。

「終末の時計は動き出した。もう、誰にも止められない。ふ、どうだ、僕の勝ちだ!」

 濁流に呑み込まれ、押し流されながらスタンが聞いた、リオンの最後の声。
リオンは笑っていて、けれどスタンはちっとも笑うことが出来なかった。それだけが事実だった。



(た と え ば 、 ま だ 、 も う )

- end -

20100913

Clap! 誤字脱字・感想などなにかありましたらどうぞ