遠回りして帰ろうか


灯火は消えない

 みしり、深雪を踏むような音をたてて、心が軋む。テオから、タルタロスに迷い込んだ人がいると連絡を受けたのは、早朝。貴女のお知り合いです、と。嫌な予感を胸に学校へ行き、授業が終わり次第すぐにポロニアンモール交番へ走った。


「大橋、まい…こ、」


 掲示板に貼られた紙に書かれた、名前。添えられた写真の笑顔。見間違えるはずがない。お姉ちゃんまたね、絶対会おうね!舞子、会いに来るからね!!幼い彼女との約束が、まさかこんな形で果たされようとしているなんて、ひどい。震えそうな身体をなんとか叱咤して、落ち着こうと息を吐くけれど、どうしてこんなにうまくいかないの。足に力が入らない。
 なんで、この子でなくてはいけなかったのだろう。先月は文吉おじいさんだった。どうしてこんなに、優しい人達が!理不尽さに腹が立つ。同時に、もうすぐ満月であることを嫌でも強く認識させられた。次で、終わるのだ。最後の大型シャドウを倒せばタルタロスは消える。そうしたら、もうこんな事はなくなるんだ。けれど、満月までに助ける事が出来なければ、舞子ちゃんは――


「どうした?」


 その場から動けずにいた私の肩を叩く、無骨な手。骨張った、大人の手。振り返ればそこには、怪訝そうな表情を浮かべた黒沢巡査がいて。私の様子から何を感じ取ったのか黒沢さんは、入りなさい、と私を交番の中へ招き入れた。


「すいません…」


 いつも武器や防具のやり取りをする時に使う、奥の部屋。目の前に出された温かいお茶にお礼を言えば、気にしなくていいと言う。座り慣れた椅子。心の中を占めた動揺が、啜ったお茶の温もりにとかされていくのを感じた。どうかしたのか、と、労りを含んだその言葉。なんて伝えたらいいのか分からなくて、私は俯いた。


「失踪者の、女の子…」

「ああ」

「私の妹っていうか、妹みたいな、子で…」


 黒沢さんが、眉を寄せる。私は、不安で仕方がないんだ。何時も、なんとか失踪した人を救出することに成功はしている。けれど、その救出時、失踪者を誰かが抱えた分だけダウンした戦力のせいで、危うく死にかけたこともあるのだ。最近は宝石を沢山集めてトラエストジェムを携帯してはいるけれど、それもそう数がある訳ではない。私達が失敗したら、誰かが薄暗くて冷たいタルタロスで精神を喰われていくなんて!
 想像するのは最悪の事態ばかり。リーダーを任されてはいるけれど、私はゆかりや美鶴先輩、真田先輩のように本格的に武器の扱いを習ってはいない。ペルソナ能力は確かに強力な可能性を秘めたものであるとは思うけれど、身のこなしまではどうしようもないだろう。勿論素早さが秀たペルソナを装着していれば自身の体も軽くはなる。けれどそれは、私と言う人間が元から持っている身体能力ではないのだ。
 数々の試練を皆で乗り越えて来たけれど、それは皆がいてくれたから。リーダーとして至らない点については時折先輩達から注意を受けたし、何より、戦うのは何時だって、恐いんだよ。その恐怖心と言うものは大切だと美鶴先輩は言った。けれど、その至らなさが、恐怖心が誰かを傷付ける結果を生んだらどうしよう。本当の私なんて、ただの臆病者なんだ。


「少し待っていてくれ」
 
 詳しい事情を避けたせいで、きっと黒沢さんからしたら、支離滅裂で意味不明な事を私は口走っていただろうに。それでも彼は、私を笑わない。ぽん、と頭に乗せられた、かたい手のひらに安心感を覚えてしまう。黒沢さんは部屋を出て、それから少しして、戻ってきた。


「迎えを呼んだから、此処で待っていると良い」


 すまないが仕事がある、と。いよいよ申し訳ない気持ちがどっと溢れ出して、ごめんなさい、叱られた子供のようにしょぼくれた私を、黒沢さんは笑った。あたたかい笑みで。君はよくやっていると俺は聞いている、と。誰から、なんて言葉は、野暮なように思えて口にすることが出来ない。胸の奥に、灯りがぽっと灯ったような熱を感じて、私はもう何も言えなかった。ただ、お茶が冷めきった頃に交番の入口から聞こえた声の主に、抱きつきたいと思った。

- end -

20100

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