「全て抱える程、俺の手は長くないんだ。」
痛みに堪えるように目を伏せた先輩を見上げて、私はぐるぐると内側を巡る疑問を口に出す事も出来ずに唇を引き噤んだ。それを尋ねる事は、ひどく憚られたからだ。
ねえ先輩、なら先輩は、どうして強くなりたいんですか。自分自身を守るためですか。手ぶらの方が、気が楽だからですか。守るべき存在を恐れているのはどうしてですか。
先輩は、何から逃げているんですか。
「先輩の欲しいものってなんですか」
それでも、ぽろりと零れる言葉。先輩は、何を言ってんだとでも云いたげな憮然とした表情で、力だと断言した。その明け透けな物言いに澱みなど何一つ感じ取る事が出来ず、私はただ「真田先輩らしいです」と返事する事で精一杯だ。彼のストレートな物言いには、時折ひどく言葉に詰まってしまう。
間が持たないなと、「美味しかったです。また誘って下さいね」と、先輩のお勧めでついさっき食べた牛丼の感想を改めれば、嬉しそうに口許を緩めた真田先輩が、そうだなと頷いた。
*
二人で寮の玄関を潜ると、お帰りなさいとソファでノートパソコンを膝に乗せた風花が視線をこっちに向けた。ラウンジで待機していた他のメンバーも視線を投げるか、お帰りと言葉を掛けてくれる。真田先輩はグローブの手入れをしてそのままロードワークに行く、と、自室へ真直ぐ向かって行った。その背中を途中まで見送って、風花の隣りにそのまま腰を下ろす。すると向かいでメールを打っていたゆかりが、最近、真田先輩と仲いいねと話し掛けて来た。
「前までそうでもなかったじゃん?」
「誘ってくれたから、海牛行って来ただけだよ」
「え!?海牛って、牛丼屋さんだよね…?」
風花も顔を上げて、若干口許を引きつらせている。ゆかりは、うわー女の子の後輩誘って牛丼か…と苦笑いしていた。真田先輩らしいって言えばらしいけど、と次いで呆れたように息を吐く。
ちなみに前はトレーニングで走ったし、最初ははがくれだった事を話せば、うわぁ、と云うなんとも嫌そうな反応。
「それでも先輩の誘いを受けるのって、くらいじゃない?私ならパス」
「わ、私もちょっと……」
控え目ながら、風花にまでそう言わせる真田先輩ってある意味すごいなと私は感心してしまった。別に、結構楽しいけどなぁと首をかしげる。理緒とか女の子同士だと、はがくれはともかく海牛に行くことはまずないからだ。それにトレーニングも、色んな道を知れるし、海沿いを走るのはなかなか気持ちがいいし。
そんな私の言葉に風花は、リーダー、と尊敬ともなんとも言えない視線を送って来る。
まあがいいならいいけど、と半分投げやりなゆかりの言葉に思わず吹き出しそうになってしまった。モテモテの真田先輩だけど、場所選びについてはダメ出しされまくりだ。
先輩は力を手に入れて、それをどうするんだろう。その力でタルタロスを上り終えた後、彼の手には何が残るのだろう。
それは私には確かめようがない。ただ、真直ぐに走る先輩が、私には何かに追われて逃げているようにしか見えなくなってしまった。
逃げるとか負けるとか、そう云う言葉を嫌う彼。
"強くならなくちゃな…そうじゃないと、何も救えないんだ"
貴方は何を救おうとしているんですか。どこへ向かって、何に手を伸ばしているのですか。
階段を下りる音に、私達は口を閉ざす。トレーニングウェアに着替えた彼の手にある赤いグローブが、鈍い輝きを放っていた。
- end -
20100126
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