前を見続けるだけではとてもじゃないが足りない。走り進む事が出来なければ俺は潰されてしまいそうだったのだ。
本音を言えば、ただ逃げていただけなのだ。そんな事はないとかたくなに目を背けて気付かないふりをしていた。そしていつしか、逃げている事すら忘れていたのだから大したものだと思う。
そう、俺は走り続けていたんだ。世界から目を逸らし、背を向けてただひたすらに。妹を失ったあの時から約十年もの間、ずっと。
それを漸く認める事が出来たのは他でもない。逃げる俺を責めるでもなく突き放すでもなく、ただ半歩後ろから今までの長い間、ずっと共に走ってくれていた大切な親友が倒れたのが切っ掛けなのだから、そんな自分を笑わずにはいられなかった。なあシンジ、お前はどんな思いで俺を…。問い掛けたい相手に、声は届かない。生死の狭間を彷徨う親友を思い浮かべても、あいつは何も答えないのだ。
「先輩の欲しいものってなんですか」
何時だったか問われた言葉。迷わず力だと俺は答えたけれど、本当に欲しいものなど、もう何処にもないのかもしれない。いつも見落としてしまう。いつだって、失くしてしまう。気付くのが遅いんだ。逃げる事に必死で、今の俺を取り巻く風景を見ようとしていなかった。自分の事だけで精一杯だった。他人を気遣う余裕すら、殆ど持ち合わせずに。そんな俺が今更、何を欲しがるというのか。
目も当てられないな、と自嘲にも似た自身の声を聞きながらただ苦笑するしかない。
ああ、俺はなんて――。
祈るような、気持ち。
神頼みは好きではなかった。それは本当だ。願った所で、何も得る事は出来なかったから。俺から大切なものを、暴力的にもぎとり奪い去って行くから。信仰などしても仕方がないだろう。結局、自分の手で、自分の力で手に入れ、守るしかないのだ。
けれどどうしても、捨て切れないものがあったのも紛れもない事実で。
「お前は、怒るかもしれないが…」
そう言えば、隣りに腰掛けているが目を瞬かせる。長鳴神社のベンチに二人腰掛けて、俺はただ脈絡も何もない言葉をうまく纏める事すら出来ずに、吐き出していた。頬を撫でる風は、少し冷たい。
はゆるりと首を横に振る。そして安心させるように微笑んだ。だから、俺はそれに頷いて言葉を探る。ああ、こんなものは、甘えだ。甘ったれた俺を、少し前の自分が見たらなんと言うだろう。そうは思えど、止まらない。すまないと思いながらも、寄り掛かることを許してほしい。
思えば俺は、祈るような、気持ちだったのだ。神頼みは好きではないといいながら、どうか、と。誰よりもそう強く祈っていた。
例えば、影時間のコンビニで順平を見つけた時。タルタロスに閉じ込められた山岸を救出に行った時。
本音を言えば、理不尽に命を危機に晒されてる人間を救う事で、俺自身が救われたかった。美紀を投影する事で、俺は無力であった俺自身の幼い影を否定し、そして、慰めていたのだ。あの頃とは違うのだ、と。けれど否定を重ねれば重ねるほどに、息苦しさは募る。分からなくなった。
俺は、確かに祈っていた。どうか、チャンスを与えて欲しいと。俺が俺自身を許すためのチャンスを、この手に与えて欲しいと。
だから、影時間のパトロールの最中、コンビニで蹲る順平を見つけた時、どこかでホッとしていた。やっと誰かを救うだけの力を手に入れられたのだと。そう。安直に言うならば、嬉しかった、のだ、俺は…。
「けど、駄目だな。俺は、許せなかったんだ。」
結局トレーニングに励むのも、全ては逃げ出すためだった。じっとしていると、一秒前の自分が俺を責めるから。美紀を救えなかったくせに、と。暗い闇と、燃え盛る孤児院をただ見ているしか出来なかったあの景色。小さな箱に掻き集めて入れられた妹。あの時の絶望が、無様に逃げる俺を追い立てる。忘れるな、と。
アバラがいかれた時だって内心落ち着いてなんていられなかったんだ。タルタロス所かトレーニングも満足に出来ない事が俺には辛かった。シャドウと対峙して命を張っていると言う事が、免罪符になったから。
こんなにやっているのだから、美紀も許してくれると。そうして無理矢理にでも納得させるしか方法がなかった。救えば救う程、焼け落ちる孤児院を夢に見るんだ。あの人達は助けたのに、どうして美紀の事は助けてくれなかったの、と。そう責める声が追いかけてくるような気がしていた。
美紀はそんな事を言うような子ではなかったのにな。綺麗に実ったトマトを、手渡してくれるような、心の優しい子だったのに、な。
結局俺は、責められたかったんだ。立ち上がれなくなるとほどに、責めて欲しかった。そうでなくては、美紀が消えてしまう。たった一人の妹。彼女と共に過ごし、その容貌を、声を、我儘を知るのは、俺とシンジ、たった二人しかいないのだから。
情けなく声が震える。はは、カッコ悪いな。そう呟けばが泣きそうな顔をして俺の頭を掻き抱いた。突然の事に驚いて言葉を失う。けれど不思議と嫌悪感はなく、淡く香るにおいがひどく心地良いとさえ思う程だ。
なんで、お前みたいな奴がまだ、俺の傍にいてくれるんだろうな。なあ、…。
縋りつく事も抱き返す事も出来ず、俺はただひたすらに眼前の、彼女の制服のリボンを睨み付ける。は、先輩はばかですね、と、風に吹かれれば消えそうな声量で零した。言葉とは裏腹に、慈しむように撫でて来るその手のひらが心地良くて、俺はそのまま彼女の胸で、込み上げそうになる嗚咽を押し留めていた。
- end -
20100425
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