遠回りして帰ろうか


わたしにできること

 その日調理部で、山盛りのスイートポテトを作りました。ちゃんが、安かったから、って、スーパーの袋一杯に薩摩芋を持ってきてくれたから。簡単お菓子クッキング、と書かれた、小学生でもすぐに作れるスイーツのレシピ本。それを広げて見れば、確かにスイートポテトは、茹でて、中身をスプーンでくり貫いて、こして、バターと卵とお砂糖、牛乳を混ぜればすぐに出来るような物でした。
 私は熱くて熱くてスプーンで中身をくり貫くのがうまく出来なかったんだけど、流石、と言ってもいいのかな。手早くくり貫いて作業を進めて行くちゃんの横顔はとても真剣でした。

 ちゃんの様子がどことなくおかしくなったのは、此処一週間ばかりの間の事です。私はお買い物に出ていたからその場に居なかったけれど、順平君が、ちゃんが真っ青な顔で帰ってきて、ゆかりちゃんに連れられて部屋に戻った。だから今日のタルタロスはなし。と言う報告を聞いたのが、最初。そこから少しずつ、ちゃんは塞ぎがちになってしまったような気がします。確か、委員会が同じの長谷川さん――私はよく分からないのだけど、理不尽に停学処分を受けさせられたりしていたみたい――が突然の転校を決めたり、留学生さんが帰国したり、ちゃんが仲良くしていた人達が、立て続けに遠くに行ってしまったのも、原因じゃあないのかなぁって。
 私は、ゆかりちゃんみたいに、ちゃんとちゃんを支えてあげられてるのかな。たまにね、どうしようもなく不安になるんだよ。だってね、私はいつも、話しを聞いて貰ってばかりだから…。何か役に立てていますか?私はちゃんと、あなたのお友達でいられていますか?
 ちゃんは、とっても優しい子。いつも笑顔を絶やさないように、努力をしている子。でもたまに、泣いているように、見えるんだ。不安になるの。リーダーは強いけれど、けれどその強さが仇になって、いつかぽっきりと、折れてしまいそうだから。

 オーブンからは、いい匂いが香ってきていました。生クリーム用の絞りを使って、程よい固さに牛乳で調整した生地を、型に流していきます。まだまだ沢山生地は残っていて、こんなに沢山、食べきれないなと思いました。振りかけたバニラエッセンスの甘いにおいが優しすぎて、なんだか涙が出てしまいそう。ちゃんは、ただ黙々と生地を綺麗に絞って、並べていきます。何かを忘れようとがむしゃらになっているようにも見えて、私は声を掛けることも出来ずに、するすると描かれる、薄黄色のうねりを眺めていました。


 ――不意に、停止。


 淀みなく動き続けていたちゃんの手が、止まっていました。だから、手元に滑らせていた視線を上に。私は驚いて、声を出すことを忘れて、ちゃんの顔をただまじまじと、見つめています。その大きな目に滲んだ、涙。どうしたらいいのか分からなくて、おろおろとするしかなくて、私はそろりとその手に触れたのです。
 毎晩の戦いで傷付いた、手。ちゃんの手のひらは、薙刀を握り過ぎたせいか、かたくなってしまった部分や、豆になってしまった部分が沢山、沢山あって。痛みを与えないようにゆっくりとその手を擦ると、ちゃんは、ごめん、と言いました。ごめんね風花。私は、いいの、いいんだよ、わたしこそ、ごめんねちゃん。
 そんな言葉をほろほろと零して、手を握りあって、少しの間だけ、泣きました。オーブンから、焼き上がったスイートポテトの、あまくて、やさしいにおいが、私たちを包んでいたのです。



*



 一頻り泣いた後、私たちはくすりと笑い合って、それから、大きなお皿に山盛りになったスイートポテトを一つ食べました。甘さ控え目な、スイートポテト。持ち帰る分をタッパーに詰めて、それでもまだまだ余るくらいです。寮で皆に配るにしても、流石にこんなに沢山のスイートポテトを入れられる大きさの入れ物がありません。だから私達は、ゆかりちゃんが練習しているであろう弓道場に、このお皿ごと、スイートポテトを持って行くことにしたのです。
 運動部には入ったことがないけれど、きっとお腹が空くものなんだろうな。私とちゃんは、お皿を手に調理室を出て歩き出します。弓道部の活動は、確か外。広い学園の敷地を、ゆかりちゃんなら、間食したら太る!と言いながらも食べてくれそうだよね、なんて他愛のない話しをしながら歩いていました。その時です。


に山岸か、二人でどうかしたのか」


 突然掛けられた声に振り向くと、ジャージ姿の真田先輩が立っていました。外で走り込みをしてきたんだ、と言います。それにしては他のボクシング部の部員が見えないので、どうかしたのかと思って見れば、先輩は事も無げに、あいつらは体力がないな、と言い放ちました。きっとまだ他のボクシング部員は、走っているんでしょう。
 想像するに難くない光景に曖昧に笑うと、真田先輩は、私達の手の中のお皿を見て、調理部で作ったのか、と口元を綻ばせました。それからちゃんに、この間くれたのも、調理部で作ったものなのか?と尋ねています。この間、と言うのは、二人で出掛けて行った時の事でしょうか。ちゃんは、はい、とこっくりと頷いて、それから、先輩の笑顔から顔を背けるように、お皿を真田先輩に突き出しました。


「………?」

「沢山作りすぎたので、よかったら部員の皆さんと、食べてください」

「だが、他に配りに行くんじゃなかったのか」

「いいんです…先輩、スイートポテト、好きでしょう?」


 その言葉に、真田先輩は、見たこともないくらい柔らかくて、優しい笑みを浮かべました。嬉しそうに、ああ、ありがとう、と。お皿は適当に取りに行くので、気にしないでください。それじゃあ練習頑張ってください。ちゃんは一つ微笑んで、くるりと踵を返しました。さっきよりも速い歩調で、逃げるように行ってしまいます。


「じゃあ私も失礼します」

「ああ、山岸もありがとう」


 真田先輩の声を背中に、早足で校舎に戻っていったちゃんを追いかけました。ちゃん。呼べば、足を止めて待っていてくれます。どうしたの、なんて野暮なことを聞くほど、私もそういった事に疎い訳ではないんです。ちゃん、真田先輩のこと…。


「後片付けしなくちゃね!ごめんね風花、ゆかりには、また何か作ろ?」

「う、うん。そうね」


 でも先に、紅茶を飲まない?その提案に、ちゃんは笑顔で頷きました。私の選ぶお茶が好きだと言ってくれたちゃん。先程までの空気はもうどこにもありません。それは少しだけ寂しいけれど、仕方がないとも思えて。私達は二人で、持ち帰る予定でタッパーに詰め込んだスイートポテトを一つずつ食べながら、紅茶を飲みました。
 ちゃんは少し落ち着いたように見えます。そんな中、扉を叩く音。真田先輩が調理室にやって来たのは、それから三十分程経過した、夕暮れ時でした。
 ジャージではなく、普段通りの制服姿の先輩は、お皿と鞄、上着を手にしていたのです。取りに行くって言ったのに、と呟いたちゃんに、それから私に、美味かったと、そう律儀に感想を述べた真田先輩は、何故か部員達に追い出された、と不満そうに溜め息を吐きました。そして、ちゃんに、少し話がしたい、と。まだ片付けが残ってますからと断るちゃんの頬が、少し赤らんでいるのに、気付いてしまいました。


「ねえちゃん、片付けなら私がやるよ。」


 私はちゃんに鞄を押し付けて、ぐいぐいと背中を押します。
 ねえちゃん、お願いだから、どうか無理をしないで。大丈夫だから、諦めないで。
 自分でも信じられない大胆な行動に、心臓が激しく脈打つのが伝わってきます。これが本当に、ちゃんのためになるのか、わからないけれど、それでも。
 渋っていたちゃんは申し訳なさそうに眉を下げました。そして、その一部始終を見ていた真田先輩は、今じゃなくても良いんだ、悪かったと言います。だから私は、大した洗い物じゃないですから、と無理矢理言いくるめて、悪いな山岸、と困ったような真田先輩と、次の片付けは私がやるから、と言うちゃんを調理室から見送って、大きく深呼吸をしました。私はただ、大好きなリーダーが傷つかないことを祈りながら、ふふ、と微笑んだのです。

- end -

20100515

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