遠回りして帰ろうか


いなくなったあの子

 そこに音は、いらなかった。ただ、目が合った。垂れ気味の、柔和な印象を与える瞳。明るい黄色のマフラーを巻いた彼は、望月綾時と言うらしい。何故か私は、ファルロスのことを思った。君と僕はずっと友達だからね、と、寂しそうに微笑んだ男の子。朝日のもとで見た幼い少年の肌の色、瞳の色、それらと一致するものが、あるような気がする。
 唐突な別れには慣れていたし、別段気にすることでもないだろう。会いに行けばいいのだ。そう思っていた。けれど、あの子はもう二度と会うことはないだろうと言った。そして、消えてしまったのだ。闇の中に溶けるような、いつものそれではなかった。光になって、霧散するような、それ。私はその時、二度と会うことが叶わない条件について考えを改めざるを得なくなったのだ。それは、どちらかが死んだ場合と、会う意志がない場合。あの子は、もう、本当に私の目の前には現れないだろう。きっと術がないんだ。潰えてしまった。だって、あの子の目に光った雫がなんなのか気付けない程、世界は暗くなかったから。


「望月くんってさ、色んな女子に片っ端から声掛けてるんだってね…転校初日からよくやるねって感じ」


 ゆかりの呆れた声に、苦笑いを浮かべた。あれから望月君は、学校内を案内して、とか、色んな口実を駆使して兎に角女子生徒に声を掛けていたし、多分ゆかりからしたら、マジない、の部類に入るだろう。
 ああ、けど、なんか懐かしい感じがした…。
 思い出すのは、朝の事。転校生を紹介するから座りなさい、と、その言葉に続いて彼が教室に入ってきた瞬間、胸の内側で、何かが叫んでいた。それが何なのかは、分からないけれど、痛みにも似たこの感情は、なんなんだろう。思わず首を傾げる。身勝手なシンパシー。ざわざわと、何かがざわめくような気配。思慮の海に溺れかけた私に気付いたのか、もう望月君の話題はいいやと言わんばかりに、ゆかりは私を新しくオープンした雑貨屋へ誘った。


「なんかさ、可愛い雑貨屋さんがモールに入ったんだって!今から見に行かない?」

「行く行く!」

「で、帰りになんか食べてから帰ろ?」


 もやもやが消えていく。私は深く考えることをやめて、私の腕を引くゆかりに笑い掛けた。



*



 寮の雰囲気は、どことなく暗い。まだやるべき事がある、と、弱気な発言を自身に赦さなかった真田先輩は、進まない事態への苛立ちや焦り、疲労が蓄積されているみたいで。三年生総倒れとかないよな、と思わず順平が溢すほどに弱っていた。そんな彼を誘って、ラウンジへ。疲れてる時にいいですよ、と、ハーブティーを手渡せば、すまないな、と表情を綻ばせた。
 こんなところを見せて貰えるのは、私だけかな、なんて優越感。甘えを見せない彼を、精一杯甘やかしたいだなんて。私は年下だし、女だし、そう言うのを見せるの、男の人は嫌がるかもしれない。けれど、私が安穏と暮らしていた数年間を戦いに投じた彼の不安や負担を推し量る事が出来ないような恋人では、居たくないんだよ。
 人の分まで背負える程余裕がある訳じゃない。いつだって容量オーバーになりそうな私だけれど、特別な人のために使うメモリを確保するのは案外容易い事じゃないかなって最近になって思うようになった。私がきっとパンクしそうになったら、その時はきっと彼が何とかしてくれるだろう、なんて、楽天的かな?私はそうは思わない。無条件の信頼を、この人にならきっと――。


「お前のハーブティー効果か…?はは、今夜は安眠、だな」

「なら、よかったです。あんまり無理、しないでね…」


 あきひこさん、と言い掛けて、此処がラウンジであるため思い直す。真田先輩が、何か言い掛けて、口を閉ざした。奇妙な沈黙。何か、ざわざわとするのだ。私はただ、早く事態が動けばいいのにな。そんな事を思いながら、飲み終わったティーカップを持って、キッチンへ足早に逃げ出したのだった。

- end -

20100615

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