幸せなクリスマスだった。真田が隣で、微笑んでいる。寒さで鼻先を赤くした真田は、普段よりも少しだけ幼く見えるのだ。
見慣れていたはずのポロニアンモールには今、色取り取りの色彩に溢れている。仲睦まじい老夫婦や、若いカップル、子供をつれた夫婦まで、大勢の人で賑わっていた。一通りぐるりとモールを見て回った二人は、空いていたベンチに腰掛ける。噴水の水音と、流れる軽快な音楽のギャップは凄まじいものではあったが、気になることはなかった。
真田は人混みを好まないため、毎年クリスマスや正月といった人が大勢集まる時期のポロニアンモールに、近づかないようにしていたらしい。買い物に立ち寄っても、一人でモール内の装飾を見て回ることなく早々にこの場を離れていたためか、彼はイルミネーションの煌めきに、灰褐色の瞳をきらきらと輝かせた。それは、真田が迎えるであろう未来にある希望そのもののようだ。夢見がちな少女ではないが、彼の瞳で光が弾ける度に、そう思ってしまうのだ。そっと手が触れる。冷たいな、お前、と理由をこじつける様に、真田の大きな手に包まれた。互いの体温が融け合う瞬間が、とても好きだとは思う。どうしようもなく、安心するのだ。守ってもらうばかりでは決していられないけれど、今は戦いの最中ではなく、誰もが胸を驚かせるイエス・キリストの聖誕前夜祭なのだ。ただの男子校生徒と女子高生のカップルとして、時間を重ねてみたかった。
「プレゼントがあるんだ…」
そう言って手渡された箱は、赤いリボンでラッピングをされていた。あ、おそろいですね、とも手編みのマフラーが入った赤いリボンを添えた包みを真田に手渡す。そわそわとしていたのは、タイミングを図っていたからなのかもしれない。プレゼントを渡す時はムードが大切、とクラスメイトに見せてもらった雑誌のクリスマス特集に載っていたので、結局そのムードってどういう雰囲気なの、と困っていたには有難かった。差し出したプレゼントに真田は少し驚いたように目を見開いて、用意していてくれたのか、と、とろけそうな程甘い声で呟いた。まるで、小さな子供みたいな反応だ。そんなに大したものじゃないのに、と思うといやにドキドキしてしまう。
「一緒に開けませんか?」
「ああ。そうだな」
提案に真田が頷いたのを確認してからはリボンを解く。特別な贈り物だ。包装紙を綺麗に取ると、箱の中には細やかな装飾の施されたオルゴールがあった。手のひらに乗せてみる。この重みがとても愛しく、かけがえのない物のように思えてならなかった。きっと、一生懸命店を探してくれたのだろう。女の子が好むプレゼントなど、真田が知っているはずはない。店員に話しかけられて挙動不審になる姿を想像して、胸があたたかくなった。
「綺麗…ありがとうございます。大切にします」
「ああ、俺もありがたく使わせてもらうよ」
真田が笑う。も笑う。所謂照れ笑いだ。白い息を漏らしながら腰をおろしたベンチに寄り添いあって、胸が張り裂けそうな痛みに少しだけ泣きそうになった。
*
ぽろん
旋律がこぼれた。オルゴール曲も、真田が選んだのだろうか。机の上に置かれたそれは今、星に願いを、のメロディをゆっくりと奏でている。
(毎年、そのオルゴールに入るものをプレゼントするからな)
真田は、生き抜くつもりなのだ。彼がに持ち掛けた未来の約束は、不安の表れなのかもしれない。微かな不安や弱さを吐露しながら、それでも、自分と一緒にいる未来を守ると彼は言ったのだ。限りなく、可能性はゼロに近いのに。ああ、これがきっと破滅なのだろう。彼の強さが、彼を殺してしまう。これからはないと、そう断言された。覆すことは出来るの?本当に?誰が、証明してくれるの?
真田だって知っていることのはずだ。みんな、知っているはずだ。人は、弱い。簡単に死んでしまう。たとえば、この舌を強く噛む、たったそれだけのことで。大災害や、世界滅亡を描いた映画を観る度に不思議にはなるのだ。逃げ場がないのに、どうして人々は生き残ろうとするのだろう。金や権力のある人間はほんの数パーセントの確立に縋って生き残ろうとシェルターに身を隠し、地上に残された力ない人々は逃げ惑う。生き延びることのリスクを考えたことがあるのだろうか。生き残って、そこから先に待ち受けているのは決してハッピーエンドではない。食物の育たない荒れてしまった大地。浄化されていない真水に、粉塵で閉ざされた空。絶望だ。どこに希望が見えるのかわからない。満足に食事も出来ず、寒さを凌ぐ家もなく、そうして生身で生き抜くには今の人は無力すぎるのだ。牙を抜かれた獣、とはよく云ったものだろう。
そう、重いのだ。生き残ることはとても重い。たとえば、家族の中で一人だけ生き延びてしまったり、その代わりに、世界の終わりを閉じ込められてしまったり。
「ほしに、ねがいを、」
意志は、固まった。はそっと目を閉じる。一週間後に控えた決断の日、自分はどうすべきなのか。決意を新たに、息を吐く。そして、おもむろに机の引出しを開くと、中からストラップを取り出した。ゆかりがくれた物だ。預かっていてほしい、と。次いで、順平の家の鍵についていたというキーホルダー。荒垣が贈ってくれた、時を刻む時計。舞子がくれたビーズの指輪。神木さんのノート。クローゼットの中から手頃な大きさの箱を取り出して、一つずつ丁寧にしまった。そう、絆を築いた、大切な人からもらった宝物。力を与えてくれるもの。そうして思い当たるものを一通りしまい終えて、ベットにちょこんと腰かけている円らな瞳のうさぎのぬいぐるみを抱きかかえた。そう、これは、真田から贈られた、とても大切な…。はなんだか少しだけ泣きたくなった。けれど困ったことに、涙が出ない。どうしてかな。呟いて、そっと箱の一番上にぬいぐるみを横たえる。お前に似ている、と照れたように笑う真田の表情が浮かんだ。ぬいぐるみの瞳が、なぜかとても悲しそうに見える。
たいせつなもの。はすぐそこにあったマーカーペンでその箱の側面にそう書き添えると、強力なガムテープで箱を密閉した。もしも世界が続いていく未来があるのなら、どうか。ちっぽけな願いを込めてクローゼットの奥へ。
「ありがとう、だいすきだよ」
オルゴールが変わらずに優しい旋律を奏でている。けれどネジが切れたのか、ぽろん、と悲しい響きと共に、メロディは途切れた。
- end -
20101102
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