遠回りして帰ろうか


誰かの気持ち

 時折、妙に胸がざわつく事がある。何事もない学園生活の隙間を縫うようにして、漠然とした不安だけが胸を打つのだ。いつからこんなに、なんで、こんなに。誰の声だろう、と思う。自分のものではないような感情が色濃く染み付いて、影を落としている。誰かの悲しみが、強く強く、入り込んでくるような奇妙な感覚だ。真夜中の月光館学園、タルタロスは特に、昼間の比ではなく、殊更強くそれを感じて、は時折ふと立ち止まって振り返った。暗い迷宮の奥深くから、誰かが何かを伝えようとこちらを見つめているような気がした。
 澱んだ空気が、じっとりと重く流れている。握り締めた薙刀が汗で滑らないように、無意識のうちにはスカートで手のひらを拭った。

「あ、

 今は散開してこのフロアを探索している最中だ。四月、転入早々からのペルソナ覚醒によって、慌しい日々がはじまった。おまけに、この特別課外活動部を仕切る創始者たる先輩二名は一人はサポート、もう一人は負傷によって戦いに参加していない状態だ。なんとなく、不当な仕打ちを受けているような気持ちになるものの、それはなんだか予め決まっていたことのように思えて、結局文句の一つも零せずにいる。おかしなことに、この状況に対する戸惑いは少しも浮かんでこなかった。ペルソナが覚醒した時も、はじめて影時間を体験した時も揺るがなかった事は少し不思議だ。いや、或いは、自分は本当に、これらを体験することが本当に初めてだったのかすら怪しくなってくる。本当は、もっと昔に?いつ?ありえない。

「ゆかり、そっちはどうだった?」
「ふふ、なんかレアものゲットした!そろそろ次のフロアに進まない?」

 装備品を片手に得意気に笑ったゆかりに微笑み返して、は通信機に向かって、集合、と声を掛ける。順平とも合流しなくてはならない。すぐさま美鶴から全員へ集合の号令が伝わり、角から抜き身の剣を抱えた順平が、やっほー、と気の抜けるような言葉と共に駆け寄ってくる。

「階段ならオレっちが見つけたぜ〜ほら、こっちだ」
「うん、そろそろ行かないと、なんかヤバイの出るんでしょ?行こ行こ」

 重苦しい空間だからこそ、順平がいると和むなあ、とは思う。戦闘においても、矢張り男がいると力強く感じるものだ。実生活では恐らくあまり感じる場面がないであろう、順平の頼りがいというもの。本人にそのまま伝えたら拗ねてしまいそうだから、絶対に言わないけれど。


*


 影時間終了のぎりぎり間際になんとか校舎を脱出して、暗い夜道を三人でだらだらと歩いた。美鶴はいつも一人ですたすたと帰ってしまうし、やることもあるのだろうから特に引き止めることはしない。完璧すぎて取っ付き難い人だ。存在感、というものがある。そう、彼女がいるからこそ保たれる緊張感にも似たもの。けれど戦いの後、疲れた身体に緊張を保ち続けるのは決していいものではない。美鶴はもしかしたら、それを知っているのだろうか。だとしたら、なんとも寂しいものだ。
 澱んで停止した影時間の空気から解放されたことに、ほっと息をつく。今日も生き残ることが出来た。なんて、実感の湧かない話だ。どうにも他人事のように感じる。死は常に寄り添い歩いているものだと、そう肝に銘じている高校生が全国には一体何人いることやら。平和ボケしたこの時代では、恐らく一握りもいれば充分すぎる値だろうに。

「あたしお腹すいたー」
「わたしもー!でも、こんな時間に食べると胃にもたれるよ」
「ってゆうか、太るよねえ、やっぱ」
「オレっちてきにはさ、二人とももうちっとふっくらしてても」
「男子は黙ってて!」

 おーこええ、と大げさに肩竦めた順平の携えた武器が、電柱に当たってガン、と音をたてる。談笑の合間にも、戦いを意識させられる瞬間は幾度もやってきて、その度になんだか逃げ出したくなる。細い細い糸の上に、立ち続けるような。
 結った髪のせいで顕になった首筋を、初夏の風がひゅるりと撫でる。その肌寒さに、どうしてだろう、懐かしさを感じて、はふと立ち止まる。これは誰の気持ちだろう。ゆっくりと振り向いて、けれど自分を呼ぶ二人の戦友の声に、前を向いた。

- end -

20110305

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