遠回りして帰ろうか


遺失物

 寮の自室には、扉を入ってすぐ傍に、クローゼットがある。持ち込んだ荷物が少なかった為、入寮したての頃は取り敢えず片っ端から洋服や鞄と云ったものを詰め込んだ。けれど、この街で暮らしはじめてから矢張りというべきか、物が随分増えた。女友達とのショッピングは、楽しくてついつい物を買ってしまう。それが必要、不必要に限らず、だから恐ろしい。特に、ゆかりのお勧めの店を見て回った時が一番沢山買い込んだ。あれが似合う、これが可愛い。この服を買うなら、このストール、この上着がよく合う。そうしている内に全身コーディネイトされることも少なくはなかった。見立てのセンスがいいのかもしれないし、自分が優柔不断なだけかもしれないが、暫く洋服を買うのは控えなくてはならないだろう。
 そろそろ荷物の整理をしようとは部屋の中を見回した。床に置かれた、靴や洋服の入った紙袋を見て苦笑する。バイトしなくちゃ。呟いて、クローゼットの扉を開いた。
 中に適当に収納していたものを一旦全て取り出して、綺麗に入れなおそう。そうすればまだまだ余裕が出てくるし、いっそのこと、靴が入っている箱は処分してしまってもいいかもしれない。ブーツ、サンダル、パンプスにローファー。簡単に思い浮かべただけでも箱のとるスペースは相当だ。椅子を持ってきて、上の段に入っている段ボールを一つずつ慎重に取り出しては、ひとまず床へ置いていく。積み上げると面倒なので、一々椅子を降りては上がって、そんな地味な作業を繰り返した。

「…ん?」

 ほとんどの荷物が取り出された時、ふと覗き込むと飾り気のない段ボールの箱が一つ、分かりにくくなっているが確かに奥に入っていることには気付いた。屈んで手を伸ばし、引っ張り出す。中身は軽いらしく、抱えることは容易かった。素っ気ないガムテープで密封されたそれには見覚えがない。見覚えはないが、そこには確かに、たいせつなもの、と紛れもない、自身の字で書かれている。滲んだ黒いマーカーの文字。なにこれ。呟きと同時に、何か、とても切ない気持ちがこみ上げて、思わず膝から崩れ落ちる。
 これは、まるで。
 そう、まるで、似ている。タルタロスで時折感じる、自分のもののようで異なる感情に。直接流れ込んでくる、とうめいな、かなしみ。いとおしさ。せつなさ。まよい。くるしみ。
 ドッドッド、と異様に速まる心音が、頭を殴るように激しく響く。こめかみを、冷たい汗が流れ落ちた。この中には、何が詰め込まれているのだろう。振ってみると、かしゃん、と軽い音がする。細かいものも、どうやら入っているらしかった。
 どうする?開けて中身を確認する?でも、ああ、けれどそれをしてしまうことが、とても怖い。持ってきた覚えのない荷物だ。それも、たいせつなもの、だなんて、書いて。
 はごくりと唾を飲み込んで、深く深呼吸をした。少しだけ気持ちが落ち着いてくる。ガムテープを剥がそうとして、震えた指ではうまく爪を引っかけることが出来ない事実に気が付いた。

(はさみ、引出しの中に)

 立ち上がって、箱に背を向ける。備え付けられていた机の引出しを開けると、そこには橙色のグリップのはさみがきちんとしまわれていた。これを使えば、即座にあのガムテープを切り取り、きっちりと閉ざされた箱を開けることが出来る。覚悟を決めて、それを手に取る。そう、きちんと開けて中身を確認しよう。それからもしも見覚えがなかったら、美鶴先輩に預けてしまえばいい。身に覚えのない荷物が入っていた、と言えば、断られることは無いだろう。
 意を決して、振り返る。

「え」

 先ほどまであったはずの小箱の存在は、跡形もなく消えていた。混乱。白昼夢を見ていたというには、あまりにもリアルすぎる。確かに重みを感じ、振った時、中身が奏でた音を聞いた。指先で触れたガムテープのざらつきも、何もかもが鮮明だ。
 はしゃがみこんで、クローゼットの中をもう一度覗き込む。床に出した他の荷物にも隠れていない。隠れているわけが、ないのだ。誰もいないはずのこの部屋で、ひとりでに荷物が動く以外隠れるなんてありえない。けれど、荷物が勝手に移動することだって勿論ありえない。そう、常識で考えれば。けれど、この街に戻ってきてから、本当は常識が通用しない世界がある事も分かっていた。
 なんだか無性にこわくなって、部屋を飛び出した。階段を駆け下りる。幽霊に遭遇した、とか、そういったこととは違う恐ろしさだ。背筋がぞわぞわとして止まらない。は飛ぶように走って、そして、ドアをノックしようとしたところではっとした。目の前の扉には、真田、というプレートがついているのだ。わたしはどうして、真田先輩の部屋に咄嗟に逃げ込もうとしたの。自身の不可解な行動に増々頭が混乱して、はたまらずしゃがみ込んだ。この街に帰ってきてから、自分はおかしい。おかしくなった、というべきか。
 どうして
 沢山の疑問が頭を埋め尽くしていく。もう戦うの、やめたいよ。ふと廊下の奥を見ると、誘うようにぽっかりと闇が佇んでいた。もうすぐ夜が来る。

- end -

20110701

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