金曜日、今日はもう帰ろうと支度を済ませたが昇降口へ向かうと、複数の女子に囲まれた真田を発見した。
「今日は部活がないんでしょう。真田君、よかったら私達と遊びに行かない?」
「カラオケは好き?それともゲームセンターのがいいのかしら。」
「あ、私、真田君に、ゲームセンターのパンチするやつ、やってほしいなぁ!」
きゃあきゃあと真田の意見などまるで無視をして話を進める女子達の勢いに、真田は困惑しているようだ。迷惑そうでもあり、このやり取りに揉まれて疲れているようにも見える。
先輩には申し訳ないけれど、気づかれないようにトンヅラしてしまおうとはその光景からさっと目を逸らした。ああいったタイプの女子は、正直関わりたくない。一緒の寮に住んでいるというだけでやっかまれることもあるのに、これ以上は勘弁して欲しいものだ。
真田先輩が早く逃げ出せるように祈っています。心の中でそう呟いて、は自身の靴箱からローファーを取り出すと、脱いだ上履きを二段に分かれた靴箱の上段へしまう。周囲はざわざわと授業から解放された生徒達の楽しそうな声で満たされているから、その時は、まさか自分の何気ない行動がとんでもない事態を招くことになるとは、露ほども思っていなかったのだ。
カツン、とも、トーン、ともつかない音を立てて、踵部分に指を引っ掛けていたローファーを足元へ落とす。綺麗に並んだそれに大した感慨もなく足を入れ、は爪先を軽く打った。さあ、靴もきちんと履けたことだし、帰ろう。そう思い、真田のいる方向へは一瞥もくれずに歩き出す。しかしその背中に、助かった、と云わんばかりに微かな安堵の滲んだ声が掛けられて、はドキリとした。
「!」
それが紛れもなく、真田明彦の声だったからだ。嫌な汗がぶわぁっと一瞬にして全身に広がる。は振り向くことも足を止めることも出来ず、のろのろと重たくなった足を進めた。聞こえないふりを決め込むことさえ出来れば、こちらの勝ちなのだ。とはいえ、昇降口からは真田がこちらを見ているに違いない。どうして無視をしたんだと寮で言われるのは、嫌だ。
「何、あの子」
「知ってる、真田君と同じ寮に住んでるっていう」
嫌だけれど、こそこそと悪意ある視線を背中に受け続けることも、堪えられそうにない。は半ば走るようにして歩いた。こうなったならばヤケクソだ。走るのは恥ずかしいからしたくないけれど、このままゆっくりと歩くには、彼女達の高い声は耳に届きすぎる。
(真田先輩に、嫌われたら――)
過った不安に、どうしてか肺が押し潰されるような苦しみを覚える。けれど、校門を抜けてしまった手前、今更振り返ることもできず。真田には申し訳ないことをしたなという罪悪感だけが残る。モノレールの改札を抜けて漸く人心地ついた時には、精神的にぐったりと疲れていた。
どうやら一本前のモノレールはつい先程行ってしまったばかりらしい。次は五分後。空いているベンチに座るには、微妙だ。そもそも朝のラッシュと、この帰宅の時間帯からはモノレールの本数が増えるので、このベンチに世話になったことはない。は巌戸台駅の改札に通じる階段から一番近い場所に降りられる、いつもと同じ車両の乗り場に並んだ。見上げた空はまだまだ青く、夏が近づいていることを知る。こうしていると、先程までのモヤモヤとした気持ちも、少女漫画のような展開も、戦いのことすら何もかもが夢のように遠い出来事に思えて、は首からぶら下げたままだったイヤホンを手に取った。耳に引っ掛けてスイッチを押せば、女歌手が歌う柔らかなメロディが、すっと心を洗い流してくれるような気がする。
、と呼ばれた声音を不意に思い出して、は目を閉じた。真田はあの子達から何とか逃げ出せたんだろうか。そんな心配をするくらいなら、あの時逃げ出さなければよかったのに。そんな、もう過ぎ去った出来事がこんなに胸につっかえるのはどうしてなのか、には分からなかった。ただ、どうしてか、女子生徒に囲まれれば囲まれるほど、思い浮かぶ真田の表情がなくなっていく。
そういえば彼は、彼女達に対して、頑なに言葉を返そうとしていなかった。それは、ある種の諦めであって、怠慢ではないのだ。主旨が伝わらない相手にいくら言の葉を連ねようと意味がないことを、彼は知っているに違いない。そうやって諦めてしまうことは勿体無いと誰かは言うもしれないが、全てを得ようと努力をしたところで何になるのだろう。彼女達は真田明彦の上辺だけを見ているのだ。端正な顔立ちと、ボクシングの学生チャンプという肩書き。彼が寮では牛丼ばかり食べていることも、時折ソファでうたた寝してしまうことも、話してみると少しズレた返答を時折することも、彼女達は知らない。真田が喧しく騒ぎ立てられる程、彼女達への興味も何もかもが損なわれていることも、だ。王子様だなんだと盛り上がり、特別視されればされる程、真田が孤独になっていくようにすら思えた。
曲が半ばに差し掛かった時、モノレール到着を知らせるアナウンスが響く。生ぬるい風が揺らした髪を押さえて、はなんだかやりきれない思いで胸が一杯になっていることに気づいたのだった。
- end -
20111005
Clap! 誤字脱字・感想などなにかありましたらどうぞ